幸手宿まちづくりフォーラム

2月24日(日)、「幸手宿まちづくりフォーラム」(幸手市北公民館)に行ってきました。
ちょうど私も旧・日光街道沿いの幸手宿の景観づくりの一環でシャッターアートを制作中だったので、グッドタイミングです。
幸手宿は、近代化の進んでしまった粕壁宿とは異なり、趣きのある木造の古民家や懐かしい風景が数多く残っており、宿場町をテーマにしたまちづくりには条件が揃っています。
しかも、御成街道との合流地点でもあるので、著名な歴史上の人物との関わりも多く、物語がたくさん眠っていてワクワクするまちです。
さて、地元でどんな取り組みをしてるのか、どんな意識で活動しているのか楽しみにして会場に向かいました。

パネルディスカッションの感想は、はっきり言ってちょっと期待外れでした。
こんなにいい資源、お宝がたくさん眠っているのに、地元の方が目を外にばかりとらわれて、足下を見ていない、「ああ、もったいない」というのが実感。

しかし、それはいずこも同じなのです。
春日部でも、2年前に「粕壁宿」といっても誰も乗ってこない状態でした。
Googleで「粕壁宿」と検索しても、「粕壁宿」についての情報はほとんどありませんでした。
肝心要の粕壁地区に古くから住んでいる人さえも、かつて宿場町だったことを自慢する人はなく、近代化に取り残された地区という卑下意識が強く、景観再生を呼びかけても冷ややかでした。
地元の人々に自分のまちの素晴らしさに気づいてもらうには、言葉ではなく実践して事例で説得するしかありません。
シャッターアートが5件を過ぎる頃から、まちの人々の意識が少しずつ変わってきました。

よそ者から見た視点がないと、なかなか住み慣れた自分のまちの良さには気づかないもの。
近視眼になって、自分のまちを他のまちと客観的に比較する視点に欠けているだけです。
自分のまちにないものばかりねだるのではなく、他のまちになくて自分のまちにしかないものを見つけて自慢すること。
どうも日本人が不得意な部分のようです。

パネルディスカッションでも2部の交流会でも、歯がゆい感じが否めませんでした。
しかし、逆に考えれば、伸びしろががスゴイということ。
「まちづくりとは何かを新しくつくることではなく、そこに住む人の意識が変わること」だと思います。
その意味では、まちづくりの活動の原点とは「気づき」と「共有」づくりに尽きるのかも知れません。

外から見た幸手宿の魅力を伝え続けることで、私にも少しはお役に立てそうです。
歯がゆい気持ちが、ちょっとワクワク気分になってきました。