元「歴史発見館」のオーナーと約30年ぶりに再会!

五黄の寅生まれの私は、今年36年ぶりの年男で、
面白い出来事が年初から次々と起きています。

不思議で怪しい「歴史発見館」

そのひとつがこれ。

私がビッグアートを創業したばかりの時に手がけた
「歴史発見館」のオーナー加藤正衛氏(82)との再会です。

とんでもなく変わり者で不思議な人です。

変わり者の私でも、初対面で危ない人(笑)だと警戒したほどです。

「歴史発見館」は池袋のサンシャインに近い場所にあり、
たった10数坪の5階建ての三角のペンシルビル。

そのビルを、姫路城に見立てて壁画を描いて欲しいという依頼でした。

池袋に行った方ならきっと多くの方が目にしているはずです。

歴史発見館

姫路城を模した外観デザイン

このビルのオーナーは、桁外れの骨董品収集家で
薩英戦争で使われた英国製の大砲をはじめ、
吉良上野助が乗っていた駕籠や忍者が実際につかっていたという道具や武器など1500点以上にものぼります。

それらのコレクションを収納・展示するためのビルでした。

30年ぶりの奇跡的な出会い

歴史発見館を手がけるに当たり、何度もオーナーの自宅に招かれ
彼の人となりから収集品について話を聞いているうちに、すっかり気に入られたようです。

しかし、その後ずっと疎遠になっていました。

何度か連絡を試みましたが、連絡が取れずあきらめていました。

昨年末から、忍者がらみの企画で情報収集していたところ、
先週ダメ元で30年前の電話番号に電話したところ娘さんが出て、
翌日にご当人と再会という正にスピード再会となったのです。

会うや否や
「奥村さん、あれからず〜っとあんたのこと探したんだよ!
あの歴史発見館のおかげで、新聞TVに42回も取材されて、
おかげでいろんな仕事につながった。元は取れたよ」。

「早速、あんたに見てもらいたいものがある。一緒に来てくれるか?」
と言って、所有している他のビルやこれからビルを建設予定の土地をタクシーで見てまわることに。

会う前は、当時のことを覚えていないのではないかと心配でしたが、
とても細かいとことまでよく覚えていて、
昨日会ったばかりのような、とても30年のブランクがあるとは思えませんでした。

会って5分もしないうちに、30年前の会話の続きをしていました。

何とも不思議な感覚。

以下の写真は、私と連絡が取れない間に建てたビルだそうです。

ん〜、微妙。(笑)

拾ビル

拾ビル〜十円玉とペガサス

千ビル

千ビル〜単身で故郷を出た時の汽車と切符そして坂本龍馬

壱ビル

壱ビル〜女神像

奇想天外な経歴の持ち主

彼は、四国から裸一貫で東京に出てきて理容師を始め、
官公庁の中に理容室を何軒も持つようになり急成長。

ある時理容室をスナックに改装して転売したら大成功したので不動産業に転身。

あれよあれよという間に、22棟(うち都内13棟)ものビルのオーナーにまでのし上がった怪物です。

初めて会った当時ビックリしたのが、
本人の毎日の日課が、所有するビルの全テナント(飲食店)のゴミ処理ということ。

何時会っても、清掃員のような作業着の姿でした。

テナント(店子)から出るゴミの量を見て、
テナントの経営状態をチェックしていたのです。

目の付けどころが、ユニークでスゴい!

82歳からまた再スタート?!

リーマンショック当たりからビル経営が大変になり、
本人の高齢化もあって所有していたビルや収集品も少しずつ手放してきたそうです。

そこに5〜6年前に娘さんが戻ってきて、また夢が再燃。

「ビルをまた買い増して面白いビルを作ってまちを面白くしたい」と、
80代とは思えない目の輝きでした。

私と会う前日まで小樽や函館を旅行していたそうで、
翌日からまた宗谷に流氷を見に行くと言っていました。

一年中旅行三昧で、毎日10時間も没頭するほど
動画づくりとFacebookに夢中らしく、
ステキな変なオジさんは健在でした。

別れ際に、「また面白いビルづくりを手伝ってくれよ」。

変わり者二人が出会い、終始熱い火花が飛び交う濃厚な時間でした。

加藤正衛氏と私

千ビルの前でオーナー加藤氏と