「もっちー」のこと

5年ほど前、パラグアイから日系人女性「もっちー」が企業研修にやって来ました。
1年間学校に行き、1年間は企業で研修するというプログラムです。
20歳という若さにも関わらず、驚くほどしっかりしていて吸収力抜群の子でした。
当社での1年間の研修を終えて帰国する時、1年以内にまた日本に戻って本格的に大学で勉強したいと言っていました。

その彼女から今年の1月に私のブログに書き込みがあり、4年ぶりに横浜で会いました。
約4時間ほど飲みながら話した時のことです。
息もつかないくらい真剣な会話が飛び交いました。

5年前と彼女の目標は全く変わっていませんでした。
というより、確実に目標に近づいているというパワーと勢いを感じました。

彼女の目標は、パラグアイにアートの学校をつくることです。
現地の子供たちはほとんど学校には行けず、小さい時から仕事をして家計を助けなければならないとのこと。
彼女が構想している学校とは、無料で学べるアートの学校。
子供たちに仕事を与え、その収入で授業料をまかなうというものです。

5年前に聞いた時は、現実離れした単なる若い子の思いつきだと思っていました。
彼女は、4年前に祖国に帰った後、間断をおかず日本に戻ったそうです。
それからの経歴を話してくれました。

5年前は、「アートの学校を始めるにはアートを自分で学ばなければいけない」と思って当社を選んだそうです。
当社にいた1年間、私がいつも言っていた言葉がその後の予定を変えるきっかけになったのだとか。
それは、「アートの仕事は、まずデザインがなければ発生しない。そのデザインは、企画がなければ発生しない。仕事の一番の川上は、企画プロデュースの仕事だ。日本ではプロデューサーがほとんどいない。だから、アートの仕事がなかなか無い」ということです。
それは私の持論で、私の仕事の一番大きなテーマです。

彼女は、その後デザインを学ぼうとデザイン会社に入社。(私が不思議なのは、デザイン学校にも行かずにデザイン会社に入社できたことです。)
そして今は、商品の企画プロデュースの会社で、ある商品の開発を任されているのだとか。
目まぐるしい行動力。
すさまじい成長力。
ちょっと圧倒されてしまいました。

今後の計画も少し話してくれました。
彼女の卒業したキリスト教系の高校の卒業生が世界中に散らばって活躍しているらしく、彼らとメールで頻繁に情報交換をしているとのこと。
その中の有志たちが数年後に、パラグアイに一同に帰国して具体的な行動に入るのだとか。
それまで、ひたすらプロデューサーとしての腕を磨くということ。
5年間、全く軸がぶれていませんでした。
彼女も、私が前と同じ志を持ち続けていることを喜んでいるようでした。
彼女と話している間中、ワクワクしました。
年齢を超えて、「同志」でありライバルだと感じました。

久しぶりの再会で、彼女を元気づけようと勇んで会ったのに、私の方が煽られ、逆に元気をもらって帰りました。