アートかデザインか

アートかデザインか。
よく学生たちが議論するテーマです。
アートは自己表現を目的とし、デザインは最初に依頼主から与えられた達成すべき課題や目標があるもの。
なるほど、一応当たっているようにも見えます。
学校の先生も大体そういう説明をしているようです。
好き勝手な絵を描いて仕事になると思っている学生たちが多いから、学校の先生がそう言っているのは理解できます。

でも、私はもともと何をやるにも企画、デザインから始めるのが常で、壁画も造形もデザイン抜きでは仕事は始まらないと思ってやって来たのでどうも腑に落ちません。

先日、イタリアから帰国したアーティストと話したことがあって、意外なことを聞きました。
芸術のメッカであるイタリア。
そのイタリアでは、街中いたるところに彫刻や絵画があり、国民は生まれた時からアートのDNAが染み込んでいるといいます。
彼との話の中で私が「日本ではアートとデザインを分けて考える風習があって、その垣根がいつもネックになる」という話しをした時です。
すかさず彼からこんな言葉が返ってきました。
「人間、生きている以上、毎日朝から晩までデザインと関わっていないことなんてあり得ません。」
ハッとしました。
どうも日本人は、デザインという言葉をすごく狭い意味でとらえているようです。
彼は続けます。
「アートは目的ではなくて、表現の手段に過ぎません。アートにも必ずデザインは必要です。」

人間、何をするにもなんらかの目的や意図があるはずです。
当然、その目的や意図に沿って計画を立て行動するわけです。
その行為がデザインの原点であり、デザインそのものという訳です。

つまり、自己表現が目的だとしても、誰に向けて何を表現したいかという意図があるはずです。
ならば、どう表現すればいいか、どう伝えればいいかを考えると思います。
それがデザイン行為なのです。

会社の未来をデザインする。
自分の人生をデザインする。
夢をデザインする。
モノやカタチのデザインだけでなく、コトとか行動もデザインの対象になります。

イタリアでは、アートもデザインも空気のような存在で、ごく自然に付き合っているようです。
一方、日本では学者や評論家たちがアートとデザインを小難しく定義づけして、ややこしくしているだけのような気がします。
もともと学問が先にあったわけではなく、アートもデザインも必然性があって自然に生まれてきたものです。
もっと、日常の中で自然に付き合っていくべきだと思います。