壁画とは建物にストーリーをつけること
壁画というと、建物の壁に絵画を描くことと単純に解釈している人がほとんどです。
しかしながら、同じ絵画でも額画(タブロー)と建物の壁とではまったく異なります。
それは、
・タブローは、個人的に味わうものであるのに対して、壁画は不特定多数の人が見るパブリック的なものである。
・タブローは、見たい人が見たい時にだけ見るのに対し、壁画はそこに住む人そこを通る人には見ることが避けられないこと。
・タブローは、作品そのもので完結するが、壁画はその建物や住む人、周囲の文化はや空気感までが溶け合って作品になること。
おおまかに言うとそういうことですが、そのことがさまざまな面で重要な違いをもたらします。
正解が一つではありませんが、少なくともそのことを人一倍真剣に考えて制作者は取り組まなければならないと思います。
一歩間違えれば、そこに住む人や通る人に不快感やストレスを毎日与え続けるかもしれません。
ビッグアートでも、創業当初は面白いもの、珍しいものを描こうとはしゃいでいましたが、何十ヶ所も描くうちに
・自分たちの描いた壁画が、本当に人々に愛され街に溶けもんでいるのだろうか。
・自分たちの見落としたネガティブな要素が人々に不快感を与えて、いわゆる「壁画公害」になっていないか。
という不安感、恐怖感にとらわれた時期がありました。
それからは、不特定の人々に触れる場所では、常にポジティブなイメージを表現するように心がけています。
また、街のいたる所にあるネガティブ空間やデッドスペースにばかり目を向けるようになりました。
しかも、人が寄りつかなかったネガティブ空間を改善するというより、逆にポジティブ空間、エンターテインメント空間として人々が集まる空間にすることを会社のポリシーにしてきました。
話を本題に戻します。
壁画とは、「建物の壁に絵を描く」という単純な行為ではなく、「建物の意味を変える」行為だと常々考えています。
・そこに住む人の希望と未来と先代の人々が残した歴史や文化、伝統の尊さ。
・その建物が、住む人や周辺の住民に与える影響。
・そして、将来あるべき姿、もしくは望む姿。
私は、壁画のプランをする時に、必ずそこから出発することにしています。
私は、何が何でも自分が描きたい絵があるわけではありません。
施主(クライアント)から意向を聞き、その建物の置かれている意味や背景をできるるだけ学習し理解して、客観的、長期的な展望で一つのコンセプトに至ります。
つまり、必然性のあるデザインです。
答えは一つではないし、絶対的な正解はないかも知れません。
ただ、必然性の最低要件を満たすことは必要です。
私は、この要件を満たすことを「デザインのストライクゾーン」と呼んでいます。
要はそうして、今まで特に意味のない存在だった建物に、誰からも意味のあるものへとスポットを当てていくのです。
それはそれは、正にエキサイティングな作業です。
というより、最初から最後までハラハラドキドキで異常な緊張感です。
18年間、もう数百の壁画をデザイン、制作してきましたが、いまだに初心者と同じです。
今まで特に意識されなかった建物に特別な意味をつけていくことですから。
しかも一旦完成したら、これから10年20年と長い間、毎日毎日さまざまな人々の心や気分に影響を与えていく訳ですから。
毎回こんな葛藤をしながら、壁画のデザインに入っていきます。
当事者にとって、周囲の人々にとって、建物にどんな意味を持たせるのか。
その意味をどんなモチーフでどんな表現をすれば人々に伝わるのか。
人々にわかりやすく伝えるために、主人公、場面設定、雰囲気などを練り上げていきます。
一般に建築物は、クールでカッコいいものはたまにありますが、無機的で無表情です。
その建物に衣服やアクセサリーを着せていく作業のようなものです。
礼服からカジュアル、ワイルド、エレガント・・・・等々、建物が個性的で独自の意思を持ちはじめます。
建物にストーリー性(物語り性)をつけていくと、人々はより深くその建物と関わりを持ちはじめ、今まで見えなかったものが見えてきます。
つまらないと思っていた通りや街が喜びに満ちた生き生きとした空間に変わり、人々の気分も明るく元気ないなっていく。
この世の中にあるものには、もともと意味(意義や役割)があります。
でも実際にはその意味が伝わらないで邪魔者になっていたり、消えていく運命にあるものが周りには無数にあります。
私たちの仕事は、生まれてきて愛されていない悲しい建物たちと人々との出会いの場をつくることだととらえています。
街に、壁画という手法で、建物や街に物語りを描く仕事です。
壁画を描く人に求められる資質とは、絵画技術にとどまらず、「人を愛すること」「まちを愛すること」が第一だと思います。