創業の動機

私は、10年以上も春日部市のまちづくり活動をやってきました。
そして、最近ようやく少しだけ形になってきました。

春日部市に住んで約26年。
私の故郷は、九州、熊本県の山の中の人口3000人、世帯数800の小さな村です。
奥さんは、北海道の札幌市出身。
で、二人がたまたま住み着いたのが春日部市ということになります。

20年前まではサラリーマンで、朝5時に起床、ジョギングして、朝風呂に入って、6時13分の電車で出勤。
マーケティング企画の会社でしたので、帰宅は毎日終電近く。
土日も、中小企業診断士やコピーライターの勉強でほとんど自宅で過ごす時間はありませんでした。
当時、
二人の娘は小学生で、彼女たちと一緒に過ごすのは、年に2回1週間位オートキャンプに行くこと位。
あとは、長女が小学校に上がる時の35キロのかち歩き大会、中学校に上がる時の44キロ歩く会に誘った位です。
好きなことにはとことん突っ走ってしまう私なので、普段は家族は放ったらかし。
その代わり、年に2~3回だけ家族ととことん楽しむ。
家族との思い出は、ドラマチックなことばかりです。
そんな生き方で43歳までやってきました。

そんな時、上の娘から「パパは毎日何してるの。お母さんは毎日働いているのに」。
私の働いている姿を見たことがない?
ショックでした。

こんなこともありました。
里帰りというと、北海道と熊本。
ほとんどが熊本でしたが。
私も奥さんも、自分の故郷には誇りがあって、よく故里自慢の話。
そんな時、「パパもお母さんもいいね。いい故郷があって。わたしなんか、ダサイ玉だもん」。
ショック、その2.

娘のその二つの言葉は私ににはグサリときました。

父親が仕事で家にほとんどいない。
子供のことは、奥さんに任せっきり。
しかし、子供の教育については私なりに強い思いがありました。
父親は自分の後ろ姿で子供を教育すべし、と常日頃から思っていました。

42歳にして、きっぱりと会社を辞めました。
理由は二つです。
ひとつは、自宅の近くで働いて、子供に自分の働いている姿を見せること。
もうひとつは、奥さんと子供の住む春日部市を日本で一番誇りに思えるまちにしたいという思いです。
自宅から歩いて5分の所に事務所借りて、まったく経験のないアートの仕事を始めたのです。
その動機といえ、選択した道といえ、今考えると無茶苦茶としか言いようがありません。

それから20年。
上の娘も29歳になります。

彼女が小学生の時、「パパ、パパの会社で描いた駅前の壁画、学校ですごい噂だよ」
それからずっと、春日部市内で壁画を描き、いつも壁画のことが家族の話題でした。
何十回となく新聞に取り上げられ、TVに登場し、がんばれば何かを成すことができる、ということを家族全員で共有してきました。
もちろんこれからも。
更なる高みを目指してチャレンジをする親父の姿を娘たちに伝えることが私の励みとなっています。