アートによるまちづくりと「発火点」

春日部駅東口地区のシャッターアートもこの一年間で30ヶ所に届くところまで来ました。
早朝にデジカメを持ってシャッターアートを撮影しながら街を歩いている人もよく見かけます。
「春日部 シャッターアート」というキーワードでGoogle検索をすると、多くの人がブログでシャッターアートの写真や記事を書いているのに驚きです。
ようやく、多くの市民の目に留まるようになってきたんですね。

10数年前に、あるまちづくりのジャーナリストの方から「発火点」という言葉を聞いて、「アートのあるまちづくり」の活動も10年20年と地道に続けていれば、いつかは「発火点」に到達すると信じて活動してきました。
そして、ようやく「発火点」に近づいた実感がします。

そういえば、「春日部を壁画のメッカにしたい」という私のまちづくり活動を
1996年の埼玉新聞で「ゆくゆくは『壁画通り』」という見出しで紹介されたことを思い出します。

あれからもう15年以上が経ったんですね。
ビッグアートの作品も、壁画、オブジェ、アート看板を合わせるとこの狭い春日部市内だけで100点を超えました。
全国では600ヶ所以上の物件がありますが、春日部市内で100ヶ所の方が、断然大きな意味があります。
春日部市内で100ヶ所というのが私が15年前に想定した「発火点」です。
「発火点」に達すると、様々な化学反応が起こり始めます。
これはゴールではなく、ここからようやく本格的なまちづくりの活動ができる下地ができたということです。
つまり、今年は「アートによるまちづくり」のスタートの年ということです。

創業して約20年。
私にとって、ここまでが自分の目指す「アートの社会化」「社会のアート化」という壮大な目標の第一段階、つまり「準備期」でした。
創業して以来、アートを仕事(ビジネス)にすることの困難さを痛いほど痛感してきました。
何度も何度も経営危機に襲われました。
それを何とか乗り越えられたのは、「目標にたどり着くまでは、死んでもあきらめない」という一言だけです。

かつては多くの同業者や仲間もいましたが、今まわりを見渡すとすっかり減ってしまいました。
目先の売上や利益に思わず手を出したくなる衝動を抑えて、「農耕型経営」「マラソン型経営」を自分に言い聞かせて、長期的な目標だけを見て頑張ってきました。

第二段階は10年間。
第三段階も10年間で設定しています。
私の頭の中では、第四段階もあります。
その時私は90歳を超えていることになりますね。
葛飾北斎に負けず、100歳までは現役でアートの社会的な可能性を追求したいと思っています。

もともと、私は九州生まれ九州育ちで気が短くせっかちな性格なので、こうしてひとつの目標に向かって20年、30年、40年、50年と気の遠くなる道のりを歩いている自分にちょっとびっくりしています。
そして、人生を捧げられる目標を持てたことに本当に感謝します。

さあ、第二段階に向けてがんばります!