シャッターアートのできるまで~「矢部製麺所」篇
30軒のシャッターアートの中でもっとも難易度が高いのが「「矢部製麺所」です。
隣が松尾芭蕉が訪れたという東陽寺で、粕壁宿巡りの要所ひとつでです。
店主の温かいご理解で、店の宣伝色を全く無くし、観光客の歴史巡りに役立てていただくために粕壁宿の古地図を描かせていただくことにしました。
松尾芭蕉と弟子の曽良、そして芭蕉の句も入れることになりました。
古地図の原典は「日光道中分間延絵図」という東京国立博物館所蔵の絵図。
郷土資料館でコピーを頂いたが、昨年シャッターアートを描いた「紅雲堂」の店主が復刻版を持っているというのでそれをできるだけ忠実に再現することにしました。
とはいっても、シャッターのサイズも4間と大きく、しかも凹凸の激しい重量シャッターですからどこまで忠実に描写できるかちょっと不安です。
店の休みが日曜日だけなので、制作も2ヶ月にまたがる大作になります。
第1日目
シャッターのサビ落し、脱脂、サビ止めなどの下地処理。
次に、全体にベース色の塗装を施します。
第2日目
地図の下書き作業です。
地図なので正確さを期すために、地図の写真を直接プロジェクターでシャッターに投影することに。
昼間に、大きな道と川だけ原寸大の原稿をトレースし、塗り分けだけを終わらせておきました。
そして、暗くなるのを待って、プロジェクターの登場!
家を一軒一軒トレースするのは気が遠くなる作業です。
屋外なので夕方暗くなってからの作業。
寒さも厳しいです。
第3日目
プロジェクターで投影して下書きした家があまりに細かくて複雑で、塗り分けが不可能と判断。
せっかく下書きした鉛筆の線を塗料で全部消すことに!
とほほ、です。
結局、地図を拡大コピーして、それも見ながら描くことにしました。
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現場のない日は、文字原稿の準備や調色の作業もあります。
芭蕉の句の肉筆原稿が悩みのタネでした。
芭蕉の句は小渕観音院の句碑にある「ものいえば 唇寒し 秋の風」です。
芭蕉が粕壁宿を訪れtのは4~5月とされていて、この句は秋に詠んだ句ですからどんな因縁があるのかは定かでありませんが、
古い句碑が残っているということは、粕壁宿と何か関係のある句なのでしょう。
絵の中でもっともキメになる芭蕉の筆書きの文字です。
誰に頼むか、悩みました。
土壇場で浮かんだのが、以前一度だけお会いしたことのある篆刻家の大塚稔先生です。
当たって砕けろで電話をしたら、あっけなく快諾。
しかも、大塚先生は偶然にも芭蕉の研究者でもありました。
大塚先生に、芭蕉のことをいろいろと教わりました。
俳句の作者の署名が「者世越(はせお)」とあるのも不可解でしたがそれも解けました。
「蝶々」のことを「てふてふ」と書くのと同様に、「芭蕉」のことを「はせお」と書いたのだそうです。
賢くなりました。
打ち合せの翌々日、早々と芭蕉の筆跡に似せた書を持ってきていただきました。
さすがです!
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第4・5日目
家を描く人、木や林を描く人、文字を書く人に分けての制作作業。
第6・7・8・9・10日目
家の描く作業が多く、複数人で描くとタッチにバラつきが出るので一人だけで作業することに。
日曜日だけでは長期間になりすぎるので、店主にお願いして、店の仕事に影響の少ない平日の午後に作業させていただくことにしました。
そして11日目、いよいよ最終日です。
松尾芭蕉と曽良を仕上げて完成です。
今まで描いたシャッターアートの中で一番地味ですが、一番手間がかかりました。
そして、歴史まち歩きの人たちの古地図に対する喜びの反応を見て、もっとも存在感のある作品だと実感しました。
もう一つ発見です。
以前の東陽寺は二つのモダンな建物に挟まれて、窮屈で風情も損なわれていたのですが、古地図と芭蕉のシャッターアートを描いたことでぐ~んと引き立ち、写真を撮っても絵になるようになりました。