ラジオ体操プロジェクト?

橋の上のラジオ体操

ラジオ体操を始めました。

今日で9日目です。

会社の近くの古利根公園橋で、NHKのラジオに合わせて朝6時半から10分間です。
毎週土曜日だけは、ラジオ体操の後に公園橋を清掃します。
発起人は、私と春日部市内に住む兵庫県から上京してきた新入社員です、

初日は、元気印の会の仲間が一人加わって3人からのスタート。

2日目は、新入社員が寝坊して私一人だけ。

3日目も我々二人だけ。

心細いスタートでした。
散歩している人はちらほらいるのですが、チラッチラッとこちらを見ながら通り過ぎていきます。
声をかけてみるのですが、恥ずかしいのか通り過ぎていきます。

4日目。
ちょっと変化がありました。
人なつっこい70歳位のおじさんが、「ここでもラジオ体操やってるんだ」と言って入ってきて、それにつられるように集まってきて、結局7人になりました。
人なつっこいおじさんと、終わった後も30分ほど井戸端会議。
初めての手応えです。

5日目、また3人に減ってしまいました。
でも、心強い声援をいただきました。
「がんばって続けてくださいね。誰も来ないと止められてしまうから、私もがんばって毎朝きますから」
ここ2,3回見かける小柄な70前後のおじさんです。

6日目、6人。

7日目、5人。
また、変化がありました。
私たちのいる場所から2~30メートル離れた川の畔で、一人また一人、こちらに合わせてラジオ体操をやっているではありませんか。
感動して、心が躍りました。

8日目、6人。

そして、9日の今朝は10人!
昨日までとは、雰囲気がまるで違います。
迫力というか、頼もしいというか。
しかも、初めて見かける人は一人だけ。
みんな、私たちのことを気にかけて、声をかけあって集まってきてくれたようです。
もうそこには、仲間意識のようなものが漂っていました。
体操が終わると、「また明日もお願いしま~す」と声を掛け合って帰って行きます。

いいですね。
まち中にこんな光景が見られるのを待っていたんです。
まちを歩く人々が、あいさつを交わしたり、気さくに声を掛け合ったり、そこで出会ったものに足を止めて、知らない人同士が井戸端会議を始める。
近年はなかなか見かけなくなった懐かしいまちの風景です。

うつ病や引きこもり、一人暮らしの老人が増え、異常犯罪が後を絶たない今日の日本。
「人」という字は「一人と一人が支え合う」と書きます。
人と人が出会い、集まり、仲間ができ、共に行動し、共に遊ぶ、そして助け合う。
以前は、それがごく普通の社会の姿でした。
近年、ファミコンゲーム、インターネット、携帯電話等々、フェイス・ツー・フェイスの人間関係が壊れ、人々が孤立し、果ては病的症状を訴える人が、私の周りでも多く見かけます。
むしろ健全で健康な人の方が少ないように私は感じます。

結果、まちから人の姿が消え、商店街もお店も活況がなくなり、経済がどんどんしぼんでいく。
それが回り回って、国民全体の生活が立ち行かなくなる。
巨大規模の「負のスパイラル」です。
世界的な拡大経済のひずみ、核家族化の行き過ぎなども絡んで、原因や問題が見えにくくなっています。

話が大きくなってしまいました、

私は15年ほど前から、まちの活性化のためにいろんな活動を行ってきました。
まち中に近代的で大規模な箱ものを作っても、大きなイベントを仕掛けても、なかなか人が集まってこない時代です。
従来型のまちづくり、活性化策には限界を感じます。
お金とかけて力づくで人を集める時代は、もう終わったと痛感します。

もっと人と人が近づく。
人と人が出会い、触れ合い、理解し合い、助け合う。
震災後の東北の復興も、そんな地道な動きから大きなうねりに発展していくんだろうと思います。
身近で、日常的な活動を飽きずに続けること。
まちが、日本が元気になる出口は、そこにあると確信します。

たかがラジオ体操、されどラジオ体操。

今春大学を卒業して入社してきた新人社員に、毎日10分間のラジオ体操で市民の輪を広げていけば、自分自身にも、会社にも、このまちにも大きな変化をもたらす成果に必ずつながるということを実践の中で体得してもらいたいと大きな期待をかけています。

焦らず、地道に、気長に続けていこうと思います。