近所の懐かしい風景が消えた!

私が子供の時、田舎でよく見かけた風景。そんな昔の風景が自宅のそばにあり、私のお気に入りの場所のひとつでした。50年以上は経っていると思われる一本の大きな木が敷地をすっぽり覆っていて、周りには雑木、古い井戸、そしてほぼ中心には誰も住んでいない廃虚の家。その一角だけが50年以上も時間が止まったままの異空間。いろいろな物語が、頭に浮かんできそうな豊かな空間です。

ここに越してき来てから18年間、妻や子供にとってこの風景と場所は生活の一部でした。ここで採れた柿や栗や野びるがわが家の食卓を飾り、松ぼっくりを拾ったり、犬(ロッキー)の運動場でもありました。近くに住む人や通りかかる人の多くが、どんなにかこの風景に心和まされたことでしょう。

ところが先日、突然、宅地造成が始まりました。きっと地主のお年寄が亡くなり、相続問題でこの土地を売却することになったのでしょう。私は、ショベルカーやチェンソーでズタズタに切り裂かれ、殺されていく大きな木をぼう然と見守っていました。

このまちの大きな財産が一瞬にして消え、どこにでもある普通の住宅地に変貌してしまったのです。古いものを切り捨てることは簡単にできても、同じものを作り上げるには50年、100年という長い年月と努力が必要です。個人の所有物とはいえ、このようなまちの共有財産が、個人の事情によって消えて行くことに、言いようのない悔しさと寂しい思いが込み上げてきました。

日本の文化や歴史に培われてきた私たちの心は、一体何処に行こうとしているのでしょう。経済偏重が豊かな心を踏みにじって行き、日本中が画一的で薄っぺらなものに変化して行くことに対して、不安と危機を強く感じます。